日本の喫茶店をサードウェーブに
ブルーボトルコーヒーがネスレに買収。ただの売り抜けではなくブルーボトルのCEOもそのまま残るようである。お互いのメリットを考えてみると、こんな感じだろう。
ブルーボトル側としては、資金繰りの心配がなくなるので、今後は新しい取り組みや、店舗拡大がやりやすくなる。ネスレ側は、ブルーボトル・ブランドを使って家庭用のコーヒー製品を作ることができる。それをうまくマーケティングして売るというわけだ。
ブルーボトルやるなぁ。と率直に思う。コーヒーの本質を楽しむ。という新しい流れ/市場を創ったからだ。サードウェーブ・コーヒーとして人気に火がついたブルーボトル、そんな彼らが日本の喫茶店にインスパイアして始めたのは周知である。だとしたら、日本にある喫茶店もサードウェーブの流れに乗れるのではないだろうか?
日本にある喫茶店のイメージは、味わい深いけど、どこか居心地悪いかんじ。もちろん常連さんになってその店のオーナーと知り合いになればそんなことは吹き飛ぶわけだか、一見さんの場合だとそもそも店に入りづらい。だったらそこを改善すればいいのではなかろうか。入りやすいたたずまいにして、店内では居心地の良い環境を備える。それでいて耳障りのよい音楽を鳴らして、接客対応が良いスタッフがサーブすれば、流行るのではないだろうか。
なんて考えてはみたけど、そんな店ってすでにたくさんありそう。結局そういう店と凌ぎを削らなければならないのである。世の中そんなに甘くはなさそうだ。
good enough to eat
観光客だけでなく、NY住民にも話題の人気朝食店。
早起きをしてわざわざアッパーウェストまで行ってきた。
店内サービスの効率性は相変わらずのアメリカクオリティ(サーブが遅い)であるが、
料理の味、味のある木材の内装、フレンドリーなサービス、客のにぎわいが見事にマッチングしており、並んででも食べに来る価値はあるかなと。
繁華街からは遠く離れているものの、セントラルパークには歩いて行けるロケーションというのが、「日曜日の朝食」にピッタリ。
Barカウンターもあり、お酒も飲めるので、Dinnerにてしっぽりお酒を味わうのもなかなか良さそうなので、今度は夜に来たい。
ニューヨーク滞在2年を経て考えたこと
ニューヨークに来てから2年が過ぎた。渡米前に考えたやりたかったことリストはほぼチェックを入れることができた。スポーツだと、テニスのUS Open、MLB、NBAやNHLの観戦は完了。ミュージカルやジャズ、音楽フェスにも行くことができたし、好きなバンドのライブにも行くことができた。観光がてら自由の女神ももちろん見た。ステーキやベーグルも食べた。
何もせずに過ぎて行った
一方で、居住者としてのニューヨークは何も経験できていないと感じる。街角で旅行ツアーの勧誘を受けることはなくなったし、短期間の旅行者では経験できないようなことはできているけど、それでも日本で暮らしていた高円寺のように行きつけの場所ができたわけでもなければ、現地アメリカのソウルメイトができたわけでもない。自宅からマンハッタンが電車で1時間行ったところにあるのもひとつの原因だろう。
海外で生活すること
外国に住んだからといって何も変わらない。日本にいた頃と同じ。2年間で知ったことや学んだことは確かにある。特にコミュニケーションの取り方は変わったと思う。日本にいる頃よりもはるかに具体的に表現するようになったし、逆に具体的なことを聞かないとムズムズするようになった。日本ではまず会ったことのない国の人と話すことで得られることも多い。コロンビア出身の子と「国は軍を持つべきかどうか」という話をしたのは面白かったし、フランス人と学校教育について話したことも興味深かった。でもこれは知見を広げただけであって、その瞬間から本質的な部分が変わったかというと、そんなことはない。
そういった知識や経験を手にしたとしても、普段の生活に変化はない。早起きできる人は早起きできるし、毎日コツコツ勉強する人は勉強するし、しない人はしない。行動力のある人は行動力があるし、ない人はない。それはどこにいても同じ。日本にいようが、アメリカにいようが、シンガポールにいようが、オーストラリアにいようが。
やりたいことをやる
結局は自分が行動して変えていかなければならない。怖いことや恥ずかしいことに直面するだろうが、それでも勇気を持って行動しなければ。その行動の積み重ねがきっと本質的な部分も変えていくんだろう。美人のとなりに座れる人は、美人に告白した人だけなのである。やりたいことをやってる人は、やりたいことに挑戦した人だけなのである。
読書猿氏の説明する「フォーマルな文章に磨き上げる4つの技術」を試す
文章を書くのが下手だ。
自分の考えを論理立てて表現できないのが原因だとずっと思っていたが、それ以外にも理由があることに気づいた。語彙力が圧倒的に足りてないのだ。
語彙力が貧しいためインフォーマルな文章しか書けない。そのため、自分の文章を見返すと、具合が悪くなるくらい幼稚な文章に思えて悲しくなることが。だから余計に文章を書くのが嫌になる。文章を書かなくなると、もちろん上達はしない。だから下手なままなのである。
意気消沈している自分に救世主が現れた。読書猿氏のブログにあるこちらの記事であrる。
この記事では、インフォーマルな表現をフォーマルな表現にする具体的な方法を教えてくれている。具体的に書かれているので実用的であり、それだけで目から鱗なのだが、さらに感動したのは、表現を磨き上げることによって思考の解像度も高めることができるという点だ。
読書猿氏曰く、インフォーマルな表現をフォーマルにしていくのに必要なことは、主張を特定化して厳密化していくことであり、そのプロセスをたどることによって、考え自体も洗練される、とのことであった。具体的な方法は以下である。
1. 動詞・形容詞の特定化
広い意味で捉えることができる表現を特定化する。たとえば「思う」にしてもさまざまな「思う」がある。フォーマルな表現ではこの「思う」を特定化して、より狭い語にする必要がある。
冒頭の文章の「思う」をこの方法で置き換えると、このようになる。
自分の考えを論理立てて表現できないのが原因だとずっと思っていたが
自分の考えを論理立てて表現できないのが原因だと決め込んでいたが
まだまだ気の利いた表現ではないが、「思う」よりはマシである。この作業を繰り返し行うことによって、思考の解像度を上げていけば、いつか気の利いた表現ができるようになるだろう。
2. 動詞、形容詞の名詞化と名詞の限定化
動詞や形容詞を名詞に置き換え、かつ特定化する。今回も冒頭の文章を利用する。
語彙力が貧しいためインフォーマルな文章しか書けない。
貧弱な語彙力のためインフォーマルな文章しか書けない。
名詞化で特定するのはそれほど困難ではない。その割にどことなく引き締まった文章に変換することができた。
3. 主語の非個人化
無生物主語を用いることで、人称代名詞を排除する。今回の文章では事例を使いにくいので割愛する。
4. データによる脱形容詞化
程度を表す形容詞は書き手の主観が介在するため、データを用いて客観的文章にする。ここが自分の中では今回のハイライト。たしかに客観的な文章にすると、幼稚なイメージが排除される。今回は無理くり脱形容詞化を試してみた。
語彙力が圧倒的に足りてないのだ
成人平均の語彙量は45,000 - 50,000語に対して、私の語彙量は40,000語しかないのだ。
語彙推定テスト: こちらのサイトで語彙推定テストを受けられる。
具体的なデータを示すことで、書き手がどれだけ語彙力が少ないかがより正確に掴めるようになる。私の語彙量は平均より5,000語少ないのである。
冒頭の文章をまとめてフォーマルな表現に変換
文章を書くのが下手だ。
それは私見を論理立てて表現できないからだと決めつけていたが、他にも原因があることを此のほど察知した。不足している語彙力だ。
成人平均の語彙量は45,000-50,000語あるのに対して、私の語彙量は40,000語に満たない。この貧弱な語彙量のためインフォーマルな表現しかできない。報告書などを後で振り返ると、幼稚な文章に具合が悪くなる程だ。
それゆえ余計に文章を書くのが嫌いになる。当然文章を書く機会が減り、スキルは向上しない。だから下手なままなのである。
微かにではあるがフォーマルな引き締まった文章になったのではないだろうか。これを毎日怠らずに続けることで、誰でも洗練された文章を綴れるようになるし、思考も洗練されるようになるだろう。
コンピュータはなぜ動くのか?
ずっとブラックボックスだったコンピュータについてそろそろ理解してたほうがいいんじゃないかと思ったので、コンピュータがどう動くかについて勉強することにした。
本のタイトルが自分の欲求と完全にマッチングしていたので、この本で勉強することに決めた。
早速第一章の重要な点と言葉の意味を忘れないために記載しておく。
第一章 コンピュータの3大原則とは
コンピュータを取り扱ううえで絶対的な基礎となることはたった3つだけである。これを「コンピュータの3大原則」と呼ぶことにする。早速紹介しよう。
- コンピュータは、入力、演算、出力を行う装置である
- プログラムは、命令とデータの集合体である
- コンピュータの都合は、人間の感覚と異なる場合がある
現在では高度に複雑化してしまったように思えるコンピュータだが、その基本的な仕組みは驚くほどシンプルであり、初期のコンピュータの時代からは何も変わっていない。だからここで紹介した3大原則を頭に入れて考えると、複雑に見えるものもシンプルに理解できるようになるのだ。
ここからは個々のワードを紹介していく。
コンピュータ:ハードウェアとソフトウェアから構成されている。
ハードウェア:入力、演算、出力を行う装置であり、たくさんの「IC (Interegrated Circuit、集積回路)」から構成されている。個々のICには数多くのピンがついており、入力用または出力用のいずれかである。ICは外部から入力された情報を内部で演算し、その結果を外部に出力する。
ソフトウェア:すなわちプログラム(同じものとして捉えてよい)。命令とデータの集合体。どんな高度で複雑なプログラムであっても、その内容は命令とデータから構成されている。
命令:入力、演算、出力をコンピュータに指示するもの。コンピュータに対する命令を書きならべたものがプログラムである。
プログラミング:プログラムを書きならべる行為。プログラミングでは、ひとかたまりの命令群に名前を付け、「関数」「ステートメント」「メソッド」「サブルーチン」「副プログラム」などと呼ぶことがある。どれも同じ意味であるが、コンピュータ業界では同じことを表すのにさまざまな用語があることが多くある。注意が必要。
データ:命令の対象となる入力情報または命令の結果によって得られる出力情報のこと。プログラミングでは、データに名前を付け、これを「変数」と呼ぶ。
コンピュータの都合:何でも数値で表すこと。すべての情報を数値で表すのである。一般の人がコンピュータを敬遠する原因のひとつである。たとえば、人間は色の情報を「青い」とか「赤い」という言葉で表す。これをコンピュータに置き換えるなら、青色は「0,0,255」、赤色は「255,0,0」、青色と赤色を混ぜた紫色は「255,0,255」のように数値で表されるのだ。
コンピュータが進化を止めない理由:まだ完成の域に達していないから。コンピュータ技術が進化する目的はただ一つ「人間に近づくこと」である。人間に近づくには、コンピュータの都合で人間の感覚に合わなくなっている部分を解消する必要がある。MS-
DOSからWindowsに進化した理由も、二足歩行ロボットをわざわざ開発するのも、すべてはこの目的に近づくためである。ちなみに現状のWindows以上に人間に近いユーザー・インターフェースを目指すことを「ユーザー体験(ユーザー・エクスペリエンス)」と呼ぶ。
プログラミング手法:プログラミング手法にも進化がある。コンポーネント・ベース・プログラミング(Component Based Programming)やオブジェクト指向プログラミング(Object Oriented Programming)と呼ばれるものだ。これも人間がモノづくりをするのと同様の感覚でプログラミングできることを目的とした進化の結果である。
本書で紹介されているクイズも記載しておく。
初級問題
Q. ハードウェアとソフトウェアの違いは何ですか?
A. コンピュータ本体、ディスプレイ、キーボードなどのように、目に見える装置となっているものがハードウェア。コンピュータによって実行されるプログラムの命令とデータがソフトウェアである。ソフトウェア自体は目に見えない。
中級問題
Q. 「リンゴ」という文字列は、半角文字で何文字ですか?
A. 4文字。
上級問題
Q. コード(code)とは何ですか?
A. コンピュータで取り扱うために数値化された情報をコードと呼ぶ。コンピュータは、本来数値でない情報であっても、内部的に数値として取り扱う。
生涯学習を求められる世の中になってきた
1月14日版The EconomistのLeaderは、生涯学習について述べている。主張はこうだ。
学校教育はもはや技術革新のスピードについていけなくなってしまった。その結果生まれるのが機会の不平等。高等教育を受けられる人は、社会構造が変わろうとも新しい要求に応えられるような教育を受けられるが、それが受けられない人はどんどん置いていかれる。自動化技術の発達やAI技術の進化でこの流れはますます加速するだろう。これが続いてしまった場合、政策としてすべての人々が生計を立てる手段を学べる仕組みを構築しなければならない、と警鐘を鳴らしている。
インターネットの登場とともにMOOCSなどの新しい教育のかたちが生まれてきた。安いしネットさえつながれば世界中のどこにいても学問を学べる仕組みである。しかしながら、それらを享受しているのはもともと高等教育を受けてきていた人々に絞られている。
もしこの新しい学び方が教育機会の不平等解消のために一役買うのならば、政府はラディカルにこの教育モデルを広げなければならない。教育の始まりは従来の教育方針を支持する。勉強する方法と考える方法を教える取り組みだ。しかしながら、問題はその先、社会に出てから必要とされる高度なスキルをどう身につけるかである。どんな環境下であろうと社会に出てからも継続して平等に学びの機会を与える仕組みが必要なのだ。シンガポールで試みているVouchers制度を用いてもよいだろう。ライセンス規制の撤廃もNew Comerには好意的に働くだろう。これらの取り組みを国家として取り組み、時代の変化に置いていかれる人を減らすことが求められるのだ。