シマウマ de 考察

海外駐在5年目突入のリーマンが書くブログ。最近はThe Economistの記事を中心に書いてます。

玄関前に見知らぬゴミが捨てられていたら ~ 近所トラブルから当事者意識の重要性を学ぶ

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日常のご近所トラブルから、当事者意識を持つ重要性を改めて感じた、というのが今回の話。会社を良くするためにはもちろん、近所付き合いや、家族内等、あらゆる組織・集まりにおいて、各々が当事者意識を持つことが、社会を良くするためには求められるのである。そんなことを感じた一日だった。

 

玄関前に見知らぬゴミが捨てられていた

今朝のことである。70L用の見知らぬゴミ袋が3つ、玄関の前に置かれているのを発見。

出社前で急いでいたということもあり、不可解に感じながらも通り過ぎ、家から5mくらい離れたゴミ置場へ自宅のゴミを捨てる。そのまま駅へ向かおうとすると、道の脇から近所に住んでいると思わしき老年の男性が、

「そのゴミはちゃんと分別してる?昨日分別してなかったゴミは、家の前に置いておいたから!」

 「えっ??」

ようやく気づいた。要するに、玄関の前にあったゴミは、私が疑われた結果であるということを。

話かけてきたおじいさんは片岡さん(仮)と言う。定年を迎えて10年以上は経ったといったところだろうか。自宅から路地を挟んだ向かいの列にある一軒家に住んでいるらしく、どうやら彼はこの近辺のゴミ収集カゴの管理責任者のようだ。

片岡さんは、昨日、缶もペットボトルが分別されていないゴミ袋が3つ、片岡さんの隣にある宮脇さん(仮)の家の塀前に。無造作に捨ててあったのを見つけたらしい。

宮脇さんを気の毒と思った彼は、この近辺で一番疑わしい存在(ゴミ捨てのマナーを守らないと言う意味で)である私の家の前に、そのゴミを移動させたというのだ。

疑われた理由は想像に難しくない。というのも私は若者4人のシェアハウスに住んでいるからだ。しかし、根拠もなしに、それだけの理由で、人を犯人扱いするのはいかがのものか?一応彼に理由を尋ねると「君たちが一番怪しかったから。宮脇さんも困っていたし」と片岡さん。

そのとき込み上げてきた感情は、まずは何とも言えないやるせなさ、そして、怒り。しかしながら、それらの感情は押し殺し冷静に状況を説明する。

・この家に3年以上住んできたこと。
・その間、ゴミの分別をしてきたこと。家にある分別用のゴミ箱まで彼に見せた。
・この3年間、このような事態がなかったこと。

そんな努力の甲斐もあり、なんとなく我々にかけられている疑いは晴れたのだが、問題は続く。放置されたゴミをどうするのかという問題である。

 

放置されたゴミを誰が片づけるのか?

急いでいた私は言う。「玄関前にあるゴミ袋は、どこか別のところへ移して下さいね。」

しかし「それはできない。宮脇さんが可哀想になるから」と片岡さん。

我々のゴミじゃないので対処してくださいよ。とこちらが伝えると、

「じゃあどうやって対処したらいいのか教えてよ。」と彼は言う。

このやりとりが何回か繰り返される。しかし、出社の時間が迫っていたので、結論が出ないまま、とりあえず話を切り上げて、その場を後にした。

朝の、おそらく1日でもっとも生産性が高められる時間に、無分別で大量のゴミを捨てた犯人に疑われた挙句、その疑いが晴れると今度は対処法を求められるという、あまりに理不尽な経験をした。

だから、片岡さんに対しては「根拠なしに人を疑い、自分を守ることしか考えない。しかも、自分で考えて解を導かない最低な人だ」くらいに思っていた。

その直後は。

でも、一度冷静に今回の出来事を振り返ると、片岡さんにも良い点があること、そして自分にも反省するべき点があったことがわかってきた。 

 

当事者意識がある人とない人の行動は大きく変わる

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まず片岡さんの良い点について触れたい。

まず彼には責任感があった。宮脇さんという他者を救いたい、という想いがあったから、このような行動を移したのである。

対処方法がどうであれ、人のために動いた事実は評価すべきところであると、冷静になった今なら客観的にそう思える。

ただし、対処方法についてはもっとよく考えるべきであった。ここが彼の改善点。彼に必要だったのは、彼の行動が周りにどのような影響を与えるのかを考えることだ。視野を広くし、豊かな想像力を鍛える必要がある。

次に自分の反省点を考える。

まず冷静さを失ったこと。根拠なしに人から疑われた事実に対して、そして自分で引き起こした問題にも関わらず自分で考えようとしない態度に、冷静さを失ってしまった。その結果、余計に被害者意識が高くなり、彼と一緒に解決策を考えてあげることができなかった。

これには当事者意識の欠如も起因していると思っている。

もし「住んでいる町は自分たちで良くしていかないといけない」という意識を持っていれば、今回のゴミ放置問題に対して、片岡さんにもっと協力的になれたはずである。それを考えると、今回の自分はかなり無責任だったなと反省。 

 

玄関前に見知らぬゴミが捨てられていたら?

とういわけで、もし今後、玄関前に見知らぬゴミが捨てられていたら、次のことを行うようにする。

  • どこかの誰かが困っていた可能性があることを想像する。
  • 自分の街は責任を持って綺麗にする、という当事者意識を持つ。
  • それらを考えた上で、自分の手で分別してゴミを捨てる。

決して気持ちいい経験をしたわけではなかったが、悪くない経験だったのではないかと今は思う。特に、当事者意識の重要性を確認できたことは今後の大きな財産になるだろう。そういったこともあるので、今回は当事者意識を持って行動をした、片岡さんを褒めたい。

今度会うことがあれば、笑顔で挨拶しよう。