シマウマ de 考察

海外駐在5年目突入のリーマンが書くブログ。最近はThe Economistの記事を中心に書いてます。

30日間走ってみてわかった3つのこと

MAT CUTTS氏は2011年に行われたTED Talksの講演で、次のようなことを話していた。
「30日間新しいことにチャレンジすれば、次の3つのことが得られる。まず1日1日が貴重だと感じられる。さらに自信もつくので、他のことにもチャレンジしやすい。そして、何か本気でやりたいことがあるならば、30日間あれば何だってできる。小説家にだってなれる。もちろん、30日間継続するってのは、けっこうタフなことだけど、 小さなことであれば、継続できる。それを続けられれば、習慣として身に付けることができる」
3分しかない講演だったが、すごく印象に残っているし、実践的であるなと感じた。

というわけで、CUTTS氏に見習って、ずっとやりたかったこと(ずっとやらなきゃと思っていたこと)「身体を動かすこと=毎日少なくとも20分は走る」に30日間チャレンジしてみた。

今日は、30日間走り続けてみてわかった3つのことをここに書くことにする。

1. 身体(私の場合は腰)の調子が良くなる

体重や体脂肪が減るといったことよりも恩恵を受けたのは、身体の調子が良くなったことだ。仕事は常にデスクワークなので、よく腰が痛くなっていた。しかし走り始めたことをきっかけにすっかり良くなった。これは、走ることによって全身の筋肉が弛緩され、血流が良くなったことが要因だと思う。

2. 生活リズムが整えやすくなる

2015年の7月からアメリカに住むようになったのだが、日本に住んでいた頃の生活と比べると”時差”に適応しなければならない機会が圧倒的に増えた。日本に帰国するときはもちろん、アメリカ国内での移動でさえ時差の影響を受けるからだ。そうなると夜に寝付けない問題によく直面していた。しかしながら、日中のうちに走ることで、身体は疲労を感じることになる。そうなると、ベットに横になると自然に眠りにつけるようになったし、寝つきもよくなったのだ。今では時差の影響をほとんど受けずに生活できるようになった。

3. 自信がつく

ここはCUTTS氏の意見と同じ。ひとつのことを毎日こつこつ続けられたという事実があると、それが自信となって「新しいことも続けられるんじゃないか」と思うようになるのだ。何だってできるし、何にだってなれるのだ。

とは言うものの、毎日同じことを継続して続けるのはかなりタフな行為だ。たとえ10分だけのことでも続けるのは容易ではない。コツがあるとすると、月並みではあるが、「その日中にやるまで寝ない!」といった類のルールをつけることだと思う。

 

CUTTS氏の講演の最後部分が何度見ても心に響く。

好むと好まざるに関わらず、次の30日間は必ずやってくる。だったら、ずっとやりたかったことをやろうよ。君は一体何を待ってるんだい??

 

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なぜ米国は利上げに踏み切ったのか?

米国の金利を上げることになるそうだ。

米国の金利が上がるとなると、米国にはどんな影響を与えるのだろう??

まず、金利が上がることによって、借りる側の人間は今までよりお金を借りなくなる。金利上昇分を多めに払わないといけなくなるからだ。そのため、消費活動は減速すると見られる。
消費活動が減少すると、その分まわりまわって人々の所得も減少することが予測される。誰かの消費は、誰かの所得だからだ。よって、この観点からすると米国経済に対してはプラスには働かないのである。

 

では、なぜ米国経済にプラスに働かないのに金利を上げるのか??

ひとつは、インフレを防ぐため。2015年現在、米国経済は良い兆しを見せている。一時は10%近くあった失業率も今では6%を下回るまで落ちてきている。2008年には-3%付近まで落ちていた経済成長率も現在では安定的に2%後半を維持できている。そうなると心配になるのはインフレ=物価上昇である。経済が成長し続けると、消費も増え、物価も上がる。それが続くとバブルに陥るリスクが高くなる。経済がバブルとなって、はじけてしまうリスクを減らすために、金利を上げるのだ。

もう一つの理由は、今後やってくる不景気に備えるため。景気はよく波に例えられることが多い。上がることもあれば、下がることもあるからだ。現在の米国経済は波の上がり始めているところである。おそらくもうしばらくは波が上がり続けるだろう。しかしながら、波はいずれ峠を超え、次第に下がっていく。その下がっている状態のときの予防措置として、金利政策は重要な役割を占めることになるのだ。まさに今回の逆で、景気が悪いときに、景気を刺激するための手段として、金利下落というカードを持っておきたい。というのが政府の意思だ。

 

というわけで、米国政府は、経済がバブルとなる予防として行い、かつ将来懸念される不景気に備えた「カード」を生み出すために利上げの判断をした。その結果、消費活動は減速することが予測される。ただ、今回の政府が利上げに踏み切れたのは、今回の利上げ幅程度では経済は減速することはないだろうと判断したからである。

米国民の消費活動の推移に着目すると、今回の判断が正しかったかどうかが分かるだろう。

第1部書く技術 はじめに まとめ

ビジネスパーソンの悩み

わかりやすい文章を書きたいけど、なかなかうまく書けない。
そのくせ、仕事では文章を書く作業が多すぎる。なんとまあ、厄介で仕方ない。
そんな人が多いのではなかろうか?

 

わかりにくい原因は「文体」が問題なのか?

「ひとつひとつの文章を簡潔かつ直接的に書き、それらをつなぎ合わせれば自然とわかりやすい文章になるはず」と思い込んでいる人がもしかしたらいるのではないだろうか?

実は、ここで言及している考えは「文体」の問題を矯正しているだけなのである。

文章がわかりにくくなる原因は大きく分けて2つあると言われている。

ひとつが上記で説明した「文体」の問題。確かにこの問題を矯正することでわかりやすい文章に近づくことはできる。ただ「文体」の問題を矯正するには多大なる努力を継続して行わなければ効果は出ないのである。タイピングや外国言語の学習に近い。多忙なビジネスマンともなれば、とてつもなく大変な鍛錬となるのだ。

その一方、もうひとつの原因はこの「文体」の問題を矯正するよりもはるかに簡単に短時間で矯正することができるのだ。こちらから取り掛かるに越したことはない。

それは一体何なのか?

 

正しい文書の「構成」とは?

正体は、文書の「構成」に関係する問題である。

書いたものがわかりにくくなってしまうのは、多くの場合、書き手による考えの並べ方が、読み手の頭の中の理解プロセスとうまくかみ合っていないことが原因となっているのだ。

読み手にとって最もわかりやすいのは、まず主たる大きな考えを受け取り、そのあとにそのおお気な考えを構成する小さな考えを受け取るという並べ方である。だから書く側も、その理解プロセスに則り、主たる考えをまず頂点に書き出し、それをより小さな考えのグループが下で支えるというピラミッド型に考えを並べてやると良いのだ。

要するに、書き手は読み手の理解プロセスに迎合してあげればいいということなのだ。

 

ピラミッド型を用いる利点は?

ピラミッド型に構成すれば、読み手とのコミュニケーションは非常に楽になる。まず頂上から始め、徐々にピラミッドの下に移っていけばいいだけなのだから。主たる考えをまず述べることで、読み手はなぜそういう考えとなるのか書き手に対して疑問を持つことになる。そこで一段ピラミッドを下りることで、疑問に答えていけばいいのだ。このQ&Aプロセスを繰り返せば、書き手は読み手に対してすべての考えを伝えることができるのだ。

さらに言えることは、自分の考えをピラミッド構造に組み立てようとする作業は、自分が何を考えているかをはっきり意識できる作業でもあるのだ。人は何かの考えをはっきりとさせるには、なんらかの形で、たとえば声に出してみるとか書き留めるなどの形で、考えを具体化しなけらばならないのである。ピラミッドに構成する作業自体がその具体化を必要とするため、結果として自分の考えをよりはっきりさせることができるのだ。

 

第1部の流れ

第1部では、まずなぜピラミッド構造が読み手にとって最も受け入れやすいものなのかを学びます。次に、ピラミッドを構成する各部分がどのような論理関係を構築しているのかを理解し、文書を書く場合にはどんな考えをどのように構成すべきかについて学んでいきます。また、文章の導入句のあり方についても分析を加え、演繹的論理と帰納的論理の基本に触れ、その論理アプローチの混乱を取り除きます。

第1部が終わる頃には、どうすれば自分の考えをピラミッド構造に構成することができるのか、その基礎を理解することができるようになります。

ピラミッド・プリンシプル序文まとめ

いきなりではあるが、ピラミッド・プリンシプルを再読することを決めました。記憶の定着化をはかるために、読み終えた章ごとに自分なりに要約をすることを決断した。

久しぶりではあるが、早速、序文のまとめをここに記載する。

 

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ピラミッド・プリンシプル序文まとめ

著者であるバーバラ・ミントはプロのコンサルタント向けにわかりやすい報告書の書き方を教育してきた経験がある。そこで多くの報告書を眺めているうちに、わかりやすい報告書とわかりにくい報告書には大きな違いがあることに気が付きました。わかりやすい報告書には、ピラミッド構成が容易に成り立つが、わかりにくい報告書にはそもそも文書の構成に問題があるということを。

ピラミッド構造は、縦方向(トップダウンボトムアップ)と横方向が単純な論理関係で関連づけることができるので、そのルールを一般化することができます。

つまり、実際に文字に起こす前に、一般ルール化されたピラミッド・プリンシプルに則って自分の考えをピラミッド型に構成することで、わかりやすい文書を書くことが可能になるのです。

ではどのようにして、自分の考えをピラミッド型に構成し、原則に従ってチェックすることができるのか?

 

本書ではそれらを3つのステップを踏んで学んでいくことができます。

第Ⅰ部(書く技術)では、ピラミッド・プリンシプルの原理と構成上の基礎を学びます。ここでの学びで、原理を理解し簡単な文書作成が可能となります。

第Ⅱ部(考える技術)では、自分で構成したピラミッドを批判的に眺める技術を学びます。本当に自分の考えが他人に対してわかりやすく構成できているかのチェックができるようになります。

第Ⅳ部(表現の技術)では、ピラミッド型に構成した自分の考えを、読み手や聞き手にわかりやすく伝えるための技術を習得します。

ピラミッド・プリンシプルは本当にシンプルに成り立つので、いくつかの原則に忠実に従うだけで完成させることができます。ひとつひとつ丁寧に原則を覚えて、きちんと習得していきましょう。

まず考え、そのあとに書くという作業を続けていくと驚くほどの上達を遂げるはずです。

 *第Ⅲ部(問題解決の技術)はちょっと特殊なのでまずは基礎を習得してから改めて振り返ることにします。 

1ヶ月プログラミングを勉強してみた学んだこと3つ

1ヶ月間の短期集中プログラミング学習カリキュラムが無事終了。達成率80%くらいというところ。
正直最後の方は辛かった。学習内容が高度になるにつれ、コマ切れだと全然アタマに入ってこないからだ。だからたっぷりと時間を取れるときにしかサクサク進めない。でもたっぷりと時間を取ることもなかなか難しい。二重苦である。
まあ、とにかく終了は終了である。
 
このカリキュラムを通じて学んだことは3つある。もちろん学習内容とは別に。
 

プログラムを書く楽しさ

まず、プログラミングはなかなか面白いものであるということを学んだ。
今までの人生、プログラミングに全く触れずに生きてきたため、そのワードを聞くだけで苦手アレルギーが出る程であった。
おかげさまで今ではそんなことはなくなった。むしろもっと知りたい、もっと学びたい、っていう知的好奇心が生まれるまでになってきた。実際に自分でプログラムを組んで、それが思い通りに動くとなかなか気分が良い。この感覚はなかなか癖になる。
 

無知の知

次に、プログラミングは面白いことであるが、それができるようになるだけでは、IT、ウェブの仕組みはまだまだ分からないことだらけである、ということを学んだ。
ITの分野に対してど素人だった自分は、プログラミングを理解できればITの分野も理解できるだろう。なんて気分でいた。
しかし現実はそうではなかった。プログラミングはあくまでプログラムを組むだけ。他にもネット環境を構築するためのインフラも知らないといけないし、UNIXコマンドというローカルサーバーを動かすためのコマンドもある程度覚えておかないといけないし、などなど。
お察しの通りまだなんとなくしか分かってないけど、それが分かっただけでも昔の自分のことを考えれば十分。これからひとつずつ学んでいけばいいのだから。
 

ウェブリテラシーを身につける

そして最後にもうひとつ。それは、プログラミングを含めた、ウェブリテラシーをこれから先しばらくは学んでいかないといけないということだ。具体的にどうなればいいのか?に関しては、『ウェブ時代をゆく』で具体的に述べられているので、そちらをごっそり引用させていただくとする。

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ウェブリテラシーとはたとえばこんなことである。

1. ネットの世界がどういう仕組みで動いているのか原理は相当詳しく徹底的に理解している。
2. ウェブで何かを表現したいと思ったらすぐにそれができるくらいまでのサイト構築能力を身につけている(ブログ・サービスを使って文を書くとかそういうことではなくて)。
3. 「ウェブ上の分身にカネを稼がせてみよう」みたいな話を聞けば、手をさっさと動かしてそこに新しい技術を入れ込んだりしながらサイトを作って実験ができる。広告収入の正確な流れも含め「バーチャル経済圏」がどういう仕組みで動いているかの深い理解がある。
4. ウェブ上に溢れる新しい技術についての解説を読んで独学できるレベルまで、ITやウェブに対する理解とプログラミング能力を持つ。

まとめてみると

つまりこうだ。
なんとなくこれからの時代プログラミングをやらんといかんなーと思ってプログラミングをわりと本気出して勉強してみた。
 
すると、プログラミング自体が楽しいということをまず発見する。
 
それから、IT、ウェブ関係のことも知らないといけないな〜と分かる。でないとプログラミング自体できない。
 
だから、梅田さんの言うウェブリテラシーをこれから中期的に身につけて行こう。
 
ということに至ったのだ。
方向として間違ってはないはず。
 

高速道路なう

今プログラミングを学んでます。文系出身のため本当に真っさらな状態からのスタートです。

勉強し始めて2週間くらいが経ちますが、これがまた面白い。有償のサービスを通して受講しているのですが、カリュキラムが受講者を飽きないように作られているということもあるでしょうが、プログラムの仕組みを理解するということそのものも面白く感じてます。

新しくモノを創り出す。創り出せる可能性を見い出せる。っていうことは自分にとっては楽しいことなんだなっていう再発見ができました。

 

でも、やはり難しく感じることも多々あり、躓いてしまうこともあります。

こんなん勉強して意味あるのか?なんて思っちゃうことだってあります。

 

そんなとき、モチベーションを持続させるために、プログラミング関係、ネット関係の読み物に触れたりします。

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こちらの本は、今の自分の状況を極めて明快に表しているのでとても感銘を受けました。

ここに記しておきます。

 

「学習の高速道路と大渋滞」 (注意:以下は私なりの要約です。)

昨今はインターネットの登場により、学習の高速道路があらゆる分野で整理されてきた。

プログラミングでも物理学でもそう。

高速道路が出来上がってきたことに寄り、“ある程度”のレベルまでは短時間で到達するようになった。

しかしながら、高速道路が整備された故に生じたことは、誰しも「その道のプロ」寸前で大渋滞にはまることだと著者は言う。

「その道のプロ」として飯を食っていくかどうかは、大渋滞に差し掛かったあとでどう生きるかによると。

その場合、選択肢は二つあって、一つは大渋滞を突破するために努力し続けること。

もう一つは、大渋滞に差し掛かったところで高速道路を降り、既存のリソースを掛け合わせた複合技で新しい道を歩み出すこと。

そのどちらの道を目指すにせよ、自らの「向き不向き」と向き合い、自らの志向性を強く意識し(それが戦略性そのもの)、「好きを貫く」ことこそが競争力を生むのだ。

 

これによると、今まさに僕はプログラミングを学ぶための高速道路に乗っているところです。

あと1 ~ 3カ月くらい真剣に取り組めばある程度のレベルまで到達可能かなと楽観的に考えています。

でも決してそれだけで飯を食えるわけではありません。

天才!成功する人々の法則の著者であるマルコム・グラッドウェル氏は

はその道のプロになるには、およそ1万時間要すると言っています。

1日5時間毎日続けたとしても、5年半くらいの月日が必要になります。

そんな多大な時間をかけるためには、情熱が必要です。

プログラミングに対して、その情熱を持てるかどうかは分かりませんが、

とにかく乗りかかった船なので、大渋滞に差し掛かるまではとりあえず高速道路を走り続けようと思います。

 

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